写真と音と私たち
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ポスト・パフォーマンス・トーク2

―写真に音をつけていくっていうのはどういう事なんですか?



R:小布施の時は、さっこさんに一枚だけ写真を出してもらったり
光のイメージ(黄色じゃなくて青、というような)を出してもらって曲を作っていきました。
ただ、半分ぐらいの曲は使われなかったんです。
今回は、僕が出したものは全部受け入れてもらって、
僕もそれを当たり前のように出していきました。
その部分は、小布施の図書館の時と今回とで一番違うかなと思います。

大網に実際にいって色々みて、また写真をみて、
これは音楽いらないな、と思ったんですね。
そもそも写真だけで成立する世界がある。



―写真だけで高揚してるし?(笑)



R:はい。
逆に付け加えすぎちゃいけないな、と。

大網に行った時、集落で聴こえてくる音が僕にはすごく新鮮だったんです。
角を曲がるたびに違う音が聴こえてきて。
多分、御本人や集落に住んでる方は、
それを日常として自然に暮らしてると思うんですけれども。
最初のおばちゃんの家も、川が流れている家の隣で時計が鳴って、
おばちゃんが寝ている、ていう室内なのか室外なのかわからない音(笑)

そのおばちゃんの家の向かいにさっこさんの家があって、夜通し唄ったり騒いだりしました。
翌日、おばちゃんに迷惑じゃなかったですか?て聞いたら 
うん、川の音が消してくれるから全然大丈夫、て言ってくれて。
本当に色んな音を面白いと思って録ってきました。
戻ったときの実感は「音楽いらないな」て。
さっこさんにも、そう伝えたと思います。
音をつけるというより、いらないんだったらなくていい、というのが僕の考えです。


最後に唄った曲、
あれは僕の曲ではなくて佐々木良太さんの曲です。
大網にいった時、佐々木さんの曲がシンプルで歌いやすくて、みんなが気に入って。
晩御飯を食べた後にみんなが唄いだしました。
さっこさんの旦那さんにも
「佐々木良太さんは僕の中では平松良太を越えました」
って言われて(笑)
僕も本当にそうだな、って思ったんです。
絶対に僕が作れない音楽。
音楽じゃない、自然発生したものを感じたんです。

それで、その場に居合わせた佐々木さんと夜、寝る前に小一時間お話をしました。
そうして眠ったら、翌朝にはもう出来ていたんです。
頭の中で。

最後にふるさとを演奏して、その後にどういう風に終わりたいかなと思った時、
大網の人たちがみんな良いと思っていて自分の歌のように思える、
この曲しかないと思いました。
それから佐々木さんに歌わせて欲しいとお願いしよう、と、ずっと思っていました。
一番最後にこの歌を歌うという事だけ決めて、
後は、どうしたら自然に歌いたくなるか、さっこさんの写真とあわせて考えていきました。



―いっしょに歌う、演奏する、ていう事は最初から? 



R:いえ、それがそうでもなくて。
もし、音をつけるという事であれば、さっこさんが演奏に参加する必要はなくて
僕のようなミュージシャンを並べて演奏してもよかったと思うんです。
でも、さっこさんが求めているのはそういう事じゃなかった。

実際に僕のような雰囲気の人が並んでいたら、全然写真が入ってこないと思うんです。
写真をみて私達を感じて欲しい、という事をさっこさんはおっしゃっていた。
そのフィーリングの部分が大切でした。









もし、ミュージシャンばかりを数人集めた場合、
この人はメロディでこの人はベース、この人はリズム隊
という風に役割分担をすると思うんです。
そうじゃなくて、一緒に何かをする。一緒に歌う。一緒に手を叩く。
という事を音楽で、、、
というか僕は音楽しかできないので、考えました。

炭焼きもその場にいたんですけど、僕はお茶を飲んで見ていただけなので(笑)
でも、実際に足を運んだ事で、その場にいる感じというのがあって、
その事と、写真の邪魔にならないという事を大切に、作っていったように思います。



N:そういう意味ではさっこさん、及びさっこさん達、というのかな。
さっき感じさせていただいて、気持ちの良いひと時でした。

あのまま朝まで続いていてもいい感じ。
時々寝落ちして、時々起きると聴こえてくるという、
それぐらいの一晩があったら贅沢だな、なんて感じながら、居ました。


















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